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青梅が亡くなってから・私の心

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オーメン(三毛)こと青梅ちゃんが亡くなって明日で49日。



いまだに思いだしてはあの時こうしたらよかったのではないかという後悔の思いが
心の奥底からじわじわとわいてきて苦しくなることがある。

自分にとっての死は"死んだら何もない""死んだらそれで終わり""漠然と寂しい"とか
そんな想いでいっぱいだったのだけど オーメンが亡くなってからは少し気持ちが変わってきたような気がする。

生まれ変わりとか死後の世界とか宗教の話は複雑で 考えは人により千差万別で
何が正解かは自分が体験しないと語れないし 今生では否定もできない。

自分を許すことも含めこれからまだしばらく"生"きていくこの世界で
前向きに そして苦しいよりは楽しく 疲れているよりは元気に過ごすために
自分の中の"死"ぬということの考えを改める必要がある気がした。

本当は深く考える必要はない。
私が今 青梅に感じるのは 青梅がいなくて寂しい、この手で触れる事ができないのが悲しい。
目の前に青梅が存在しないことによって自分の心の中に空洞ができが寂しいだけなのだ。

青梅が"死んだから終わり"とかそんな風には考えない。
むしろしんどい体から解き放たれて自由になって楽しく過ごせているはず。

青梅が亡くなる時 開口呼吸が始まり大きく肩で息をするようになって
その時が近いことを知って涙が溢れてきて止まらなくなった。
自分が寂しいのではなくて青梅がそこへ行くのが怖かった。

死の世界がとても怖かった。

それなのに「もう頑張らなくていいよ。」って何度も声をかけていた。
死の世界へ行かせるのが怖いのに早くそこへ行きなさいと言っていた。

私の両手のひらには青梅の命が溢れていてそこからこぼれるようにはらはらと
命が落ちていくところが頭の中に浮かんできてはなれなくなった。
必死でこぼさないようにするのに花びらが一斉に散ってしまう。
私の元からいなくなってしまう。

青梅は亡くなりました。
眠るようにではなく しばらく、ずっと呼吸が苦しくなって
最後は瞳孔が開いて目がまん丸になって見たこともないかわいい顔になって
そして ストンッ と命の灯が消えました。

それから私は2~3日何をするにもこの光景が頭から離れなくなって
自分の視界のはじっこに青梅の最期の映像が焼きついて妙な感じを持ちながら生活しました。
しかしそれから全く思いだすことをやめていました。
焼きついていた映像も消えて それからは思い出そうとしても思い出せなくなっていました。
頭の中にもやがかかって肝心のその"時"の記憶にはたどり着けなくなっていました。

葬儀から後のことは思い出せるのにその前は全然ダメ。
楽しくて笑って幸せだった頃の青梅との思い出も消えてしまいました。
でもそれを不思議とも思わず ただ思い出がよみがえる日を待つしかありませんでした。

でも先日 ショーコ(サビ)のことで病院を訪れて先生に青梅のことを報告した時に
「そういえばあの日不整脈がひどく出ていたもんね。」と先生がおっしゃって
その言葉が引き金となり私の記憶が一気に心の奥底から引き上げられて全て思い出せました。
嘘のように"懐かしくて寂しい想い"で満たされていきました。

私はなぜだか再び青梅と出会えた気がしました。

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そして青梅がいなくなってさびしさに震えていた心の空洞が
青梅が亡くなったその日の思い出でいっぱいになって
心が苦しくなくなっていくのを感じました。



明日は49日だ。

娘(小6)と相談して鉢植えかプリザーブドフラワーを買おうかという話をしている。

今 また青梅ちゃんを思い出して静かな涙がこぼれている。
でも以前のような苦しい涙ではない。
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Author:みやしお
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猫7犬1ウサギ2鳥4亀魚虫他と
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